あなたがわたしにくれたもの

キリンが逆立ちしたピアス。

以前にもちょびっと書いたのですが、相変わらずぱらぱらとスカパラへの傾倒甚だしく、ヒマさえあればライブ映像をちょびちょびと見ています。しかし、見ながら思うんですが、ほんとに人間何がきっかけですぱーん!といくのかってわかったもんじゃないですね。友人にも「何がきっかけで?」と聞かれたりしたんだけど(そして時系列らしきものはもちろんあるんだけど)だからってそれは1+1は2みたいな話ではけっしてないもんね。これは自分でも意外だったし今でも若干意外なんですが、なんでかっていうとね、スカパラって歌詞がないじゃないですか。もちろんそうでないものもあるけど、楽曲の大半が基本的にインストですから、いつでも歌詞を、言葉を「愛を引っかけるための釘」にしてきた私にしてはやっぱり意外だなと思うわけです。

つまるところ、これは常々思っていたことなんですけど、私は基本的に音楽というものをそんなに必要としてる人間じゃないんだろうなあってことです。いやマジで。それよりも言葉だああ!って思って走ってきたし、さらに言えばライブだって、音楽が好きと言うよりもその「ステージ」で行われる「パフォーマンス」が好きなだけ、それを「生で」体感することが好きなだけとも言える。誰もがNO MUSIC NO LIFEな人生を過ごしてるわけじゃないっすよね。NOT MUSIC,BUT LIFE、そういう人生だってある。もちろん。

でもじゃあなんで今、数少ないとはいえいろいろなCDを買ったりDVDを買ったりライブに行ったりするのか、っていうとそれは吉井さんのおかげだよなあってことをスカパラのDVD見ながらしみじみ考えたりしたのでした。なんでいきなり風が吹けば桶屋が儲かる的な話になってるのかって感じですけど、でもそうだと思います。それでそれは吉井さんのおかげなのね。THE YELLOW MONKEYのおかげではなくて。

THE YELLOW MONKEYは私に音楽の喜びを与えてくれたか、というと、その答えはYESでもあり、NOでもある。THE YELLOW MONKEYは確かにたくさんの扉を開いてくれて、その中のいくつかは私の人生に大きな影響を及ぼしたけれど、彼らが与えてくれたのは「THE YELLOW MONKEYの音楽」の喜びだった。つまり私にとっては、それだけで満ち足りてたのです。だから、だから、なんて接続詞を使うのもどうかと思うけど、私は2001年1月に彼らが活動を休止したあと、音楽というものを熱心に聴かなくなった。そこから再び吉井さんがソロとして立ち上がるまでの3~4年の歳月、私の中で音楽的記憶はきれいさっぱり途絶えてしまっているのです。

今思えば、あのとき、ほんの数回の限られた露出を覗いて、あの人は一切姿を現さなかったし、何をしているのか、どうしているのか、今何を考えているのか、そんなことは遠い遙か彼方の出来事で、感じ取ることすら出来なかったなと思う。たった数年前の話なのに、今とは時代が違う、ということなのだろうか。今はいろいろな手段で吉井さんの存在を感じることができる。それはきっといいことなんだろう。でももし、あの真っ暗な数年間に、今のように吉井さんからの発信があったとしたら、逆に私の心は折れてしまったかもしれないなともおもう。私があの何もない時間を耐えられたのは、それが私の得手勝手な想像と妄想に支えられた時間だったからで、そして何よりも吉井さんがそれをゆるしてくれたからに他ならない。それがどれだけありがたいことだったかは、今はもう私もよくわかっている。

吉井さんがソロとして作品をリリースし、ついにはライブをやるようになり、だんだんと加速がつくように活動が活発化していった時期、私はもちろんそれを追いかけていたわけだけれど、それがTHE YELLOW MONKEYへの郷愁なのか、吉井さん自身への思いなのかは、本当につい最近まではっきりしていなかった部分もあったように思う。とまれ、吉井さんは動きだし、そして私は、結果的にかつて限りなく音楽という単語と私の中でイコールだったTHE YELLOW MONKEY以外の音楽に耳を傾けるようになった。当たり前のことかもしれないけれど、THE YELLOW MONKEYという大きな力から、私を動かす最初の一歩を踏み出す力を渡すことが出来たのは、やっぱり吉井和哉というアーティストだけだったわけだ。

歌詞、言葉、というフック以外にも、例えば自分はどういうギターの音が好きなのか、どういうドラムで身体が弾むのか、こんなボーカル、あんなパフォーマンス、音楽を映像で見せるということ、バンドというものが持つ数々の物語、私は本当に今生まれたばかりのヒヨっ子さながらだった。多くの人が中学生や高校生でやるようなことを、私はきっと今やっているのだ。吉井さんがあっちにぶつかり、こっちにぶつかりながら動くことで、私の視線も回転し、そしてTHE YELLOW MONKEYではない音楽の楽しみを、あちらこちらでまた見つけることができるようになった。

夜中にひとり、スカパラのDVDをセットして、いひひと笑い、あああ本当にかっこいい、こんなかっこいいことってあるだろうか、このトランペットの音、ギターの音、刻まれるパーカッション、狂ったように弾かれる鍵盤、かっこいい、かっこいい、たのしい、たのしい。そうしてときに思う、この喜びをくれたのは吉井ちゃんだよなあと。吉井ちゃんがいなきゃ、私はここにきてなかったよなあと。

いろいろ言うこと変わるし、自分にとってYESという回答しかこない問いを続けることもよくわからないし、めんどくさい!って思うこともあったりするけど、でもどれだけ私たちがウダウダ言っても、ライブではいつだってとびきり最高にカッコイイし、それはもう重々よくわかっているし、魚を釣ってても、お酒を飲んでても、つまりそうやって吉井さんが生きて元気で音楽というものを楽しんでいるからこそ、私も安心していろいろな音楽の楽しみを少しずつ見つけることが出来るようになったんだと思うのです。それがどんなにありがたいことかっていうことは、今はもう、私もよくわかっているつもり。