ハートブレイク

私がその情報を知ったのは会社を出て急ぎの郵便を出しに郵便局に行っているときで、郵便を出し終わったらホテルにチェックインして、会場に向かうはずだった。ネットを通じてお知り合いになった方が、その第一報をメールしてくださったのが17時40分ぐらいだったと思う。メールの文面を見たときぞっとするぐらいいやな汗をかき、郵便局の窓口にいた私はおつりを受け取りもせずに踵を返そうとして、窓口の人に呼び止められた。

東京から遠征してきているお友達に電話で伝え、詳細を確認しにとりあえず会場に向かって、直前までリハをやったけれども声の調子が思わしくなく、ベストな状態でコンサートを皆様にお届けしたく云々というアナウンスをそこで聞いた。

誰しもが思うのは何よりも吉井自身が大丈夫なのか?ということで、こんなことが過去にも例になかっただけにそんなにひどいのか、とその場にいるいないにかかわらず皆気を揉んだにちがいない。言うまでもなく今回の件でもっとも落ち込んでいるのは吉井だろうし、だからここでことさらに何かを言うのが良いことなのかとも思うが、しかしとりあえず自分の気持ちぐらいは書き留めておきたい。

まず第一に、どうしてもう少し早く決断できなかったのか、と思う。声の調子が悪いのは沖縄公演あたりから囁かれていたことで、今まで絶好調だったのに突然声が出なくなったとかならともかく、そういう決断だって「あり」だということは認識すべきだったんじゃないだろうか。もう半日でも早く発表していたら遠征組のダメージはもっと少なくて済んだだろう。それはもちろん、本人がコメントで「コンサートを延期するという発想がまったくなかった」と語っているように、とにかくぎりぎりまで努力して、そうしたらなんとかなるかもしれない、という希望があったからなのだろうと思うし、その思いはある意味立派だとも思うけれども、こうなってしまった以上結果がすべてで、その判断の甘さを叱責されても仕方がない。

静岡は吉井にとっても特別の地だし、それこそここに帰ってくるのは8年ぶりであるわけで、他の地方に比べて(東京近郊からの日帰りが可能だということもあるし)遠征組も多かったのではないかと思う。移動費に宿泊費その他もろもろ、金銭的な面でダメージを受けた人もいるだろうし、平日の公演だったから休みを調整して今日のライブにかけた人もいただろう。もちろん地元で、普段は出かけていけないけれどもこのツアーを一日千秋の思いで楽しみに待っていた人、この日ツアーを見るまで必死にネタばれを我慢していた人、そしてもちろんこの日が最初で最後だった人、あそこに集まったファンの思いはそれこそ人の数だけ違うだろうと思う。厄介なのは、あの紙切れ1枚に、それぞれがそれぞれの形にならない思いを託しているということだ。もちろんライブを見たら見たで、また千差万別の思いをそれぞれが抱くわけだが、だがライブを見る前のこの形にならない思いは、ライブを見ない以上どこにも行きようがない。それぞれがどうにか消化していくしかない。

私はこの間の大阪公演の感想で、「何かを伝えようとする現場に立ち会う、というのは贅沢で、パワーのいること」と書いているわけだけれども、「LIVE」というものの贅沢さと、そして贅沢であるからこその脆さを、私自身もすっかり忘れていたのだなと反省させられた。私なんて、大阪公演で吉井の声の調子が良くない状態を実際に耳にしておきながら、なぜ中止になるかもしれないとほんの少しも考えなかったのだろうか。吉井が「コンサートを延期するという発想がまったくなかった」と言った様に、私も「吉井がコンサートを飛ばす」なんていう発想がたぶんまったくなかったのだ。だから人のことを責められた義理ではないが、どんな調子の差こそあれ「ライブを見せる」ということだけに関しては無遅刻無欠勤の優等サラリーマンのようだった吉井だからこそ、今回の出来事は青天の霹靂だった。

機械ではないから、人間だから、どれだけパーフェクトに気を遣っていたとしても、こういうことは起こりうる。ここまで、そういったことが1度もないまま、ライブバンドのボーカルとして名を馳せてきたこと自体が本当は僥倖に過ぎなかったのかもしれない。だけど私も、その僥倖にすっかり目がくらんでいたし、もしかしたら吉井自身も周りのスタッフもそうだったのかもしれないな、と思う。

本当にLIVEなんていうものは、いつもその日が最初で最後なんだなあと改めて思う。生の舞台であっても、コンサートであっても、それは変わらない。だからこそ、あの場にいられることが貴重だし、何度でもまた会いに行きたいと思ってしまうんだろう。

今回のことについては、延期として振替公演が決定しているし、もちろんそれを楽しみに思えば良いわけなんだけれども、だが私はまだ、それはそれ、これはこれ、というようにしか考えられていない気がする。自分でも本当にこの物わかりの悪さがいやになるが。

最後に、地元らしいネタをひとつ。中止のお知らせの横には、当日吉井宛に送られた花が飾られてあったのだが、そのひとつに「吉井和哉様 いとこ一同」と書かれていたものがあった。吉井和哉自身にゆかりのあるすべての人、そして今日のライブを楽しみにしていたひとたちだけでなく、すべてのファンのために、2.12が素晴らしいライブになることを願うばかりです。

というわけで(砕けた)

昨日は車の中で寝たじゃなくて(昭和)、遠征してこられていたお友達&そのお友達と飲んだくれておりました。もともと曲がりなりにも地元民なのにも関わらずホテルを取っていたのは、ライブの後お友達と心ゆくまで騒ぎたいわああ、という欲望のなせる業だったので、そういう意味じゃ心ゆくまで語り合えたよ!吉井ちゃん!みたいな。もうそれはそれはここじゃとてもお聞かせできない妄想と欲望の大暴走集団と化し、吉井和哉をネタにあんなこといいなできたらいいなあんな夢こんな夢いっぱいあるけどとドラえもんも音を上げるイキオイだったわけです。

しかしまったくもってひとりじゃなくて助かった。ご一緒してくださった皆様に感謝します。だいたい、こんなことを1日経ってもまだウダウダ言うなんて、どんだけ女々しいんじゃ!つー思いをみなさん抱いていらっしゃるとは思います。もう次が決まってるんだし、しかも私は武道館だって参加するんだし、その前に2本もツアーに参加してるんだし、こんなこともあるよねと、早く良くなって次頑張れ!と、どうしてそうスッキリ終わらせることができないのか。いやもう自分でもちょっと理由がわからないんですが、結構ダメージくらってんだこれが。馬鹿じゃないかっていうね、本当に。

声が出なくてもライブやれ、とか思ってるわけではありません、念のため。

でもあれだ、みんな本当にやさしい。みんな何よりもまず吉井の心配をしていたものなあ。私は本当に得手勝手な女であることよ、とわが身を振り返って猛烈反省猿です。私だって心配・・・してないわけじゃないけど、でもまあしてないわけじゃないけど、というレベルでしかしてない気がする。しかしそういう心優しいファンを育てたのも吉井自身であるわけで、人徳ってやつなのかもしれませんな。

つーかもうあのオフィシャルのコメント読んだら、いやもうまったく1から10までそのとおり、何もかもお宅様の仰るとおりでございますよバーヤバーヤ、何が発想がなかっただバーヤバーヤ、お前なんか雪のなかで「はやく~~~よ~~~くなろう~~~」とかでも歌っとけバーヤバーヤ、でも風邪引いちゃいけないからあったかくして外に出るんだよバーヤバーヤ、喉には生姜汁がいいらしいよバーヤバ-ヤ、ともう気持ちにも文字にも愛憎が半ばして乱れまくっているような状態です。何だ、これ、結局まとめると惚れた弱みってことですか。なー。なんかもうほんとどですかでん(意味不明)。いいからもう、早く良くなっちまいやがれお前なんか!