DECADE

むしゃくしゃしたのでblogお休みしている間に自分のサイトにあげていた文章を載せる。だからむしゃくしゃしてやったんだって。反省はしてないんだって。

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先週の週末は、お友達のお誕生日会にかこつけて、新横浜のホテルに泊まり10年前、つまり1999.3.10を思い起こして3.10のビデオを頭からケツまで流すという、ある意味自虐的な集まりをしてきました。それだけじゃなんなので、ユニコーンのDVD見たり美味しいお菓子を食べたり食べたりして、3.10見ながらでもあーもうげらげら笑えるな!ってことに安堵したり月日の長さを思ったり、横アリまで行っていやがおうにも思い出すな!とか浸ってみたり。たりたり。

去年の9月に静岡→鎌倉→東京普通列車の旅、をやったときなーんも考えずに新横浜に泊まって、それであまりに進んだ新横駅前の再開発っぷりに驚き、そして久しぶりに来た新横で一気によみがえるあれこれにめまいのような気分も覚え、あーもう思い出が目詰まりをおこしておることだよと思ったんでした。そのときに、これは一度「デフォルメした思い出を指通りよくしよう会」でも開かねばなあ、とふと思い立ったのがきっかけ。そしてよくよく考えてみれば、もうあれから10年なのだった。

10年前の私たちはおかしかった。あまりにも夢中で、イレアゲていて、バカで、必死で、みっともなくて、純粋だった。有り体に言えばくるっていた。4日間もある横浜アリーナの公演に、全日参加するということが私の周りの友人の中では『当たり前』のことだった。1999年の3月10日は水曜日、週中のド平日を、年度末のこの忙しい時を、私はなんと言って会社を休んだのか、もうまったく覚えていない。しかし「行かない」などという選択肢はこれっぽっちもなかったのだ。町中の喫茶店からジグソーのスカイハイが流れてくるだけで興奮していた私たちのテンションは、祭りの最後となる3.10の終演後も落ちることがなかった。横アリにほど近い居酒屋をファンで埋め尽くし、知らない人と笑いあい、何度も泣いて、何度も乾杯し、別れ際にまた泣いて、何度も何度も手を振った。思い出の新横浜。

先日発売されたJAPANのインタビューで、吉井はたとえばTHE YELLOW MONKEYの影がちらついたりすることに「もういいかな」「もうないわあ」と発言していて、それを読んだときには一瞬、またそういうことを言うこの人は、といつもの剣呑な心が頭をもたげそうになったのだけど、でも一方でそれはなんとなくわかるな、とも思ったのだった。いま私の中にあるTHE YELLOW MONKEYに対する感情を、無理矢理一言でまとめるなら、やっぱり「もういいやあ」という言葉に尽きるような気がするからだ。でも、この「もういいやあ」という言葉、字面、イメージ、そういうものから思い浮かべるどんな感情も、今の私の気持ちに近いわけではないのだけど、でもあえて言葉にするなら、もういいや、としか言えないような気がするのだ。

もう(再結成しなくても)いいや、もう(4人でやらなくても)いいや、もう(THE YELLOW MONKEYの曲を聴けなくても)いいや、そういう「もういいや」ではないのだ、それだけははっきり言っておきたい。年末の武道館で聴いた天国旅行は、ある意味その決定打だったのかもしれない。あの天国旅行は素晴らしかった。楽曲の持つパワーを、改めて思い知らされた。私は、吉井和哉が天国旅行を歌っている!というセンチメンタルな思いよりも、その楽曲のすごさに圧倒されたと思う。そして同時に、これは吉井和哉という人がTHE YELLOW MONKEYの天国旅行という曲を歌っているという、ただそれだけなのだなとも思った。当たり前だが、そこにもはやTHE YELLOW MONKEYはいないのだ。

もうTHE YELLOW MONKEYはいない、失ったものは失ったままにしておくしかない、その本当の意味が、今ようやくわかってきたのだと思う。それだけのことを本当に「わかる」のに、3.10から10年、最後のライブから8年、最後通牒から4年半かかった。もうTHE YELLOW MONKEYはいない。だから、もう、いいよ。もう解放してあげる。繋がれた鎖の端を、離したつもりでまだずっと握っていた。私はそれに、ずっと気がつかないでいたんだ。

SO ALIVEに収録されている「悲しきASIAN BOY」は横浜アリーナで収録されているが、最終日のものではない。吉井和哉は、ありがとう、横浜ありがとう、最高!と叫んでいる。彼はこのことを覚えているだろうか。113本も回ったあのツアーの、つらい記憶だけが、まだ彼の中に残っているのだろうか。それを思うと、寂しい気持ちも過ぎるけれど、でも彼には彼の、彼にしかわからないTHE YELLOW MONKEYへの愛情があったことを、私は疑ったことはないし、彼が心底あのバンドを愛していたことも、彼に言われるまでもなく真実だろうと思っている。その気持ちは私たちには決して手の届かないところにあって、同じように、私たちのあの10年前の熱狂も興奮も、その記憶も、彼の手の届かないところにあるのだろう。あの時間は帰ってこない。THE YELLOW MONKEYはもういない。

もういいや、とあなたはいえるようになった。

もういいや、とわたしも思えるようになった。

10年。

10年前の私たちはおかしかった。有り体に言えばくるっていた。

そして世界中の誰よりも、幸せだった。

2009.03.10