鰻重の思い出

看板に偽りあり。

鰻重の思い出なんかこの先いっこも出てきません。が、この先現在のツアーのセトリのことを書いていますのでまだご覧になっていない&セトリ知りたくない派の方は回避が吉です。





私が最初にいんたーねっと、というものに触れたのとTHE YELLOW MONKEYというバンドにいれあげたのはほぼ同じ時だった、ということは何度かこのblogでも書いたように記憶しているのだけれど、自分にとって大きな出会いとなったそのふたつの出来事が同時期に訪れたことで、お互いの思い出はまるで蛇のように絡まり合っているような感じがする。

義兄のおさがりのPCをネットに繋いで最初に検索ボックスに放り込んだ単語「THE YELLOW MONKEY」。ネットの普及率は今とは比べものにならないにせよ、いやだからこそというべきか、当時すでにその思いの丈を文章やイラストやデータに託したひとたちがたくさんのサイトを作り上げていた。そこで目にするものは何もかもが新鮮だった。何もかも知らないことばかりだった。

その中のひとつに「8000粒の恋の唄」というサイトがあった。

こうして書いていて自分でも不思議なのだが、私はそのサイトオーナーの方の名前を今でもはっきりと覚えているのだった。もちろん直接お会いしたことはないし、それどころかオンラインでのやりとりもまったくない。私は一方的にそのサイトを訪れただけだった。何も知らない私はそのサイトを見て回り、そこでトップページに貼られていたMIDI音源へのリンクをそうとは知らずにクリックした。流れてきたのは「JAM」だった。

その電子音のJAMを聴きながら、深夜の自分の部屋で、PCのモニタだけが煌々と明るい部屋で、まさにあのJAMのPVのように、とめどなく泣いたことを、私は今でも鮮烈に覚えている。

そのサイトを最初に訪れたとき、私は8000粒の恋の唄というそのサイトのタイトルの由来を知らなかった。ほどなくしてそれが「4000粒の恋の唄」をもじったものだということを知ることになり、そして同時に、私がそうでなかった時にも彼らに愛情を注いできた人たちのなかに厳然としてある「ジャガー」という単語と「マリーさん」という単語の意味を理解することになる。

あのバンドのことを思うとき、私はいつも「自分は遅れてきた客だ」という意識を持っていた。それは自分を卑下しているのでも卑屈になっているのでもなく、私にとっては正しいタイミングで出会って、これしかないと思う方法で恋に落ちた、そう思ってはいるけれども、けれど多くのひとがそうでなかったときから変わらず愛情を注いできたひとたちが彼らを押し上げてくれたからこそ、こうして出会うことができたんだということは常に思っていた。だから、彼ら彼女らが一種の共通体験のように語るジャガーと、それに先んじる時代は、私にとって「届かないもの」の象徴だった。黒いドレスの女という、これ以上ないほど劇的な筋書きが、いっそう私の憧れを燃え立たせた。黒いドレスのひとに、いつか会えますようにと願うことすら躊躇われるほど、私は届かなかった時代に想いを馳せ続けた。そしてそれを象徴する楽曲が、シルクスカーフに帽子のマダム、そして4000粒の恋の唄だったのだ。

あれからもう16年が経ち、その長い時間の中で私はその時には夢に描くことすらできなかった黒いドレスのひとに会うことが出来た。憧れの一角であった楽曲には、バンド時代にも、ソロになってからも、実際に耳にする栄に浴した。そして憧れてやまなかったもうひとつの楽曲は、だからこそ私にとって「届かないもの」の象徴になった。何度も何度も思い描いたが、結局のところ私は永遠に「粒待ち」のままであり、その事実を私はすっかり受容しきっていた。いつか聴けるかもという想像すらまったくしなくなるほどに。

甲府の初日で、あれだけはっきりとしたイントロを聞きながら、吉井が歌い出すまでまったく私は気がつかなかった。そして気がついた瞬間、思わず目の前の椅子の背を握って崩れ落ちた。そのあとはもう泣くことすらできず、ただ茫然とステージを見つめるばかりだった。自分の処理能力の限界を超えるというのはああいうことをいうんだろう。私の回線は完全にショートし、壊れ、立ちすくむしかなかった。頭の中に浮かんだのは、かつて何度も何度も繰り返しこの歌を聴いていたあの頃の自分の姿だった。いつか、いつかと思い続けていた16年前の自分の姿だった。こんなことって、ほんとうに、あるのか。

先日の長崎のライブで吉井があの指輪を出してきて、あの指輪をつけて吉井があの曲を歌う、その場に自分がいられないことにあんなに地団駄を踏んだのは久しぶりのことだ。

過剰なセンチメンタル、過剰なノスタルジー、そう思われるだろうと思いながらこの文章を書いた。それでもいい。どうしたって鰻重みたいなバンドだし、そのバンドに恋したわたしが鰻重みたいになってもしょうがない。レポの間に差し挟むには私の思いは鰻重すぎた。でもずっと好きでいるってこういうことだろうとも思うのだ。思い出も時間も積み重なれば重くなる。それは時と場合によっては他人を傷つける重さかもしれないと思う。それでもこの過剰なノスタルジーあふれる物思いのことは、暗い部屋でひとりPCをつけたまま、自分の知らない彼らの時代を飽くことなく想っていた、ひとりのファンの姿に免じておゆるしねがいたい。