30周年が来たりて笛を吹く #12「JAM」2004.12.26東京ドーム

2004年12月26日、東京ドームのJAM。この映像自体は当時主にワイドショーなどで流れており、なので映像が残っているのは意外ではないけれど、さすがにこれを出してくるとは予想外。ちょうど15年前だからなのかな。1日限定の映像だそうです。

 

7月7日に解散が決定し、8月にその知らせがきて、その後発表になったのがTHE EXHIBTION AND VIDEO FESTIVAL OF THE YELLOW MONKEY メカラ ウロコ・15の開催。東京ドームだけでやったわけではなく、全国の主要都市を巡回するエキシビションで、過去の衣装、グッズ、小道具、衣装ケースにミラーボールにあの電飾もステージに用意されていた。そのあと過去のフィルムの映像があるという構成で、そのラストが東京ドーム。私の記憶では、メンバーの登場は予告されていたけれど、演奏はない、と書かれていたのだったか、そこまではっきりと書いていたわけではなかったのか、どっちだっただろう。

 

フィルムの上映のあとにメンバーが出てきて、エマがギターに手をかけて、やっぱりやるのか、と思ったことと、アニーのハイハットで、私とこのバンドの縁は、JAMにはじまり、JAMに終わるんだな、と思ったことだけは覚えている。あとはひたすら涙を流しているだけだった。解散の一報からこの日までのあれこれを押し流すように、ひたすら涙が流れ続けた。

 

私はバンドの解散というのはひとつの独立した人格の概念上の死のようなものだと思っていて、だとするとこのメカラ15のJAMは、まさに看取り以外のなにものでもなかったとおもう。そう感じた人が多いからこそ、この日のJAMは「葬式のようだった」と言われるのだろう。

 

この映像で、終盤のリフレインを観客に託し、吉井が「ずっと歌っててください」とひとこと残してステージを去るが、このひとことはかなりの物議を醸した。まるで突き放されたように感じたファンが多かったんだろうと思うし、その気持ちもわかる。そのあと彼が自分のサイトのBBSに書いた言葉がなんとも切なかった。「伝え方が下手くそでごめんね」「これからもあなたが好きな歌をずっと歌い続けててください」。

 

15年経ってあらためて見て思うことは、このとき、私たちも傷ついていたけれど、ステージにいた4人もまた傷ついていたんだということだ。吉井はこのJAMについて、「奇跡が起きることを願っていたが最後までそれは起こらなかった」という話をしていたことがあるが、奇跡を起こすには彼らはあまりにも疲弊しすぎていたんだろうと今この映像を見ていると思う。

 

そしてもうひとつ、この先に、今現在のような明るい日々が、明日はテレビ出演があって、明後日はドームでライヴがあって、そのあとは…と指折り数えることができる、そんな日々が待っているとわかっていても、解散したからこそ今の日々があるんだと言われて、それもひとつの真実だろうと腑に落ちていても、でもそれでも、私にとってこの映像は、自分がそのとき深く思い入れ、気持ちのありったけをそそいだひとつの生命体が、ゆっくりと最後の呼吸をするのを見届けた時間に変わりないのだということも、15年後の今日、改めて思い知らされています。