また会えるって約束して

3月27日18時に来月4日・5日の東京ドーム公演の延期(または中止)が決定した。当初は3月30日に開催可否のアナウンスを予定していると告知されており、事前に日付を指定していたのだが、こうなってみるとそれを前倒して週末に入る前に告知してくれたことはよかったと思う。今日(30日)はとても大きな悲しいニュースもあったし、これでもし開催の可否の発表も今日だったら、いろんな意味で情緒がもたない1日になってしまっていたのではないか。

 

もともとはこのドームツアーでセカンドシーズンの終わり、しばらくお休みに入る…ということだったから、開催できない場合は中止やむなしだろうと覚悟していたが、現在のアナウンスでは「できるかぎり延期の方向で」調整中だという。ありがたい話だし、うまく調整ができることを祈る気持ちだ。メンバーそれぞれに、そしてスタッフそれぞれにも今後の予定もあるだろうに、前向きの努力を続けてくれているというだけで泣きたくなるほどうれしい。

 

この新型コロナウイルスをめぐるニュースが出始めた当初は、私はそれでもまだ「4月は大丈夫だろう」と楽観視していた。それが日が経つごとに「開催できないのでは、できたとしても相当な批判を浴びるのでは」という懸念に変わった。3月19日の専門家会議において、「全国規模の大規模なイベント」の定義は「多数の人の移動が全国規模で発生する」だと知って「ぜったいダメなやつじゃん、いちばんやっちゃダメなやつじゃん」と頭を殴られる思いがした。そりゃ、東京ドームが大規模じゃなくて、何が大規模なんだって話だが、これが正常化バイアスというやつなのか、そうはいっても、東京でしかやらないし…などと考えていたので本当に蒼ざめる。ひとが動く点になるのがもっとも危険なこと、という認識をここで改めて叩きつけられ、文字通り目が覚めた、という感じだった。

 

それからは、「やるか、やらないか」よりも「万が一、開催するとなったらどうしよう」という心配の方が私の心を占めることになった。実際、仕事の方でも、その後こうした県外への「不要不急」の外出を禁じる通知も出たし、そりゃ黙って行けばわからないかもしれないが、その黙って行くというやつが一番いまやったらアカンことなのでは…と悶々とした。自分が、掛け値なしにもっとも入れあげ、骨絡みで愛するバンドの、何よりも大事なライヴという場に「やってもいけないかも」「いっそやらないでくれ」と願ってしまうことが、どんなに苦しく、うしろめたいか、それをひしひしと感じる時間でもあった。

 

でも、私もそうだが、なんとなくはっきりと「中止」と言葉にするのは避けたいというひとは一定数いたのではないか。皆、ぐっと奥歯をかみしめてこの時間を耐えていたと思う。ありがたいのは、メンバーをはじめとする創り手が、このわたしたちのかみしめている想いを「わかってくれている」と感じられるところだ。

 

THE YELLOW MONKEYのファンクラブ名称はBELIEVER.だが、正直なことを言うと、私はこの名称にそれほど思い入れがない。でも今は、こんなにもこの状況に相応しい名前はないんじゃないかとおもう。以前私が参加した、小沢健二さんのライヴで披露されたモノローグで、この言葉についての印象的なものがあった。以下は私のメモ。

Believe、信じること。アメリカのプロスポーツの応援なんかで「I Believe」なんて書いた幕やペインティングを見てもわかるとおり、信じるということはポジティブな意味で使われる。信じると力が出るから。信じる人、 believerを日本語に直訳すると「信者」になって、なんだか途端にネガティブな意味がまとわりつく。(中略)信じないと、力がでない。それはなんだか恋愛にも似ている。良い悪いではなく、何かを信じること。それにしても、「信者キモチワルイ」とひとは言うのに「恋愛キモチワルイ」と言わないのはなぜだろう。どちらもおなじことなのに。

僕はひとが何を信じてもいいと思う。そういう信じる人を僕は応援する。I Believe.と額に書いて9回裏ツーアウトでバッターボックスに立つ選手のように。

我々は今もしかしたら9回裏ツーアウトでバッターボックスに立っているのかもしれない。あるいは逆に、そのバッターを抑えようとしているのかもしれない。いずれにせよ、我々はBelieverである。我々は信じる者である。我々は何を信じてもいい。今できることは、何かを信じて、それによってうみだされた力を次につなげていくことだ。

私が信じているのはひとつの言葉です。

 

また会えるって約束して。