あなたの右の隣

本当はもっと前に書こうとしていたのに次々と襲いかかる体調不良(現在は歯茎を腫らして恐ろしい顔に変身中、たぶん素でお化け屋敷に就職できる)により日記も滞りがち、どうしたどうした、ここへ来て一気に一年のツケを払わされているのか?もうこんなもので勘弁してほしいなり。

そんな顔が腫れたままでアレだが、今日はエマに関してのヲタヲタしい長文を書こうと思う。とはいえ、吉井好きの女が顔を腫らしたまま書くことなので相当にとっちらかっているだろうから、適当に読み流してください。知らないひとのために、と付け加えても知らないひとは読まないだろうからこれは蛇足というやつですが、エマというのはTHE YELLOW MONKEYのギタリスト、菊地英昭氏のことです。

去年の12月26日に東京ドームでTHE YELLOW MONKEYの解散イベントがあり、そこでメンバーが登場して1曲「JAM」を演奏したわけだけれども、あの日メンバーが登場してきて私が最も驚いたのはエマの変化だった。髪が短い、という具体的な変化ではなくて、なによりもまずひとめでエマだとわからなかったことに驚いたのだ。エマを見間違う?この私が?3年もの間人前に出ることから遠ざかっているというのはこういうことなのかと私はある意味愕然とした。これが、あのエマなのか?と。

この日記の下の方で今度発売されるイエローモンキーのDVDについてぎゃあぎゃあと喚いている文章があるけれども、その時に昔のビデオを懐かしくなって引っぱり出して一日中見ていた。吉井の格好良さ、エロさもすごいが、エマのエロさもおそろしい。見ながら思わず「怪物・・・」と呟いてしまったほど、ライブでのエマは圧倒的だった。渋谷陽一氏は吉井のことを「ライブモンスター」と喩えたが、ライブで異様な引力を発揮するという点では、エマは吉井に勝るとも劣らなかった。

いやむしろ、NHKのドキュメンタリで「今、ライブがなくなったら死んじゃう」と本人が発言しているように、エマの本当のパワーはライブにこそあったのかもしれない。あの113本のパンチドランカーツアーで、常に最も「高め安定」を維持していたのは間違いなくエマだった(もっとも乱高下が激しいのは言うまでもなく吉井)。ツアーを終えるファイナル前のインタビューで、「どれだけ数をやっていても、マンネリになることがない」と彼が言ったとき、私は本気でエマに落ちかけた。なんてプロなんだろう、このひとは、と惚れ直した。

先月出た吉井のDVDを、私は真っ先にドキュメンタリから見たのだが(本編は心ある方に先に見せていただいていたのです)(私ずっと人様の厚意に縋って生きて参りましたのbyブランチ)、ツアー前のリハーサル、初日の新潟、そしてラストのZEPP東京と、みるみるうちにエマが「あの」エマに戻ってきているのがわかる。新潟よりも、私の見た大阪のエマの方が、大阪のエマよりも、東京でのエマのほうが、あのエロスとオーラに満ちたエマに戻ってきている気がした。

このひとはほんとうに舞台の上に立つべきひとなんだなあ、と思い知らされた。

イエローモンキーの解散インタビューで、吉井は2ndアルバムにエマが参加しているという話をしたときにこう言った。

「僕はエマを連れていって、一緒に苦汁をなめてもらおうと思う」

私はこれを読んだとき、不遜極まりない発言だとわかっちゃいるがエマを心底羨ましいと思った。なんて愛の言葉だとも思った。そして6月に行ったツアーで吉井の左隣にエマがいるのがほんとうに嬉しかった。

だけど、なによりエマにはずっとステージに立ち続けてもらいたいと思う。ありとあらゆる女の子を、その悪魔の笑みで虜にし続けて欲しいと思う。エマはステージに立ってなきゃだめだよ、本当に。あの輝きをいっときでも曇らせるなんてそれこそ犯罪ものじゃないか。

DVDを見て、このことを書こうと思ったのは吉井の次のツアーのサポートメンバーが発表される前だった。携帯に転送されたFCからのメールを見るとき本当にドキドキした。エマの名前があって、私は思わず「ありがとう」と口にしてしまった。でもいつかはそうでない時が来るのだろう。たとえそうでも、その日が来るのを恐れすぎないでいたい。

せめてエマの誕生日が来る前に、と思ったけどそれも大幅に遅れてしまった。ごめんなさい。

菊地英昭さん、お誕生日おめでとう。いつまでも信じられないぐらい格好良くて、犯罪的にキュートなギタリストでいて下さい。私は吉井ファンだから、いつまでも吉井の左の隣にエマがいて欲しいなんて勝手なことを願ってしまったりしますけども、それよりもエマがいつまでも「あのエマ」であり続けてくれることを心より願います。あなたの右の隣に誰がいても、私が世界でいちばん好きなギタリストは、エマ以外にはいません。

2005.12.18