今日もまた何かの初日

全曲感想という企画をやって良かったなと思うことのひとつは、DVDの3.10を見返す機会が増えたことだ。私が勝手に決めたマイルールだが、感想を書くときには必ずその曲がどのDVDに収録されているか(またはいないか)を明記するようにし、明記するからには「いやもうそれ何度も見たから」という映像であっても全部もう一度見返してから感想を書くことにしている。つまりROCK STARのように5枚のDVDに収録されていれば、5回DVDを取り替えて5回ROCK STARを連続で見ることになるわけだ。ひとつの作品としてDVDを見ていたときには気付かないことも、その曲だけをピックアップして連続で聞くとまた違うものが見えてきて、それ自体が新鮮な経験だったが、そうしてライブ映像をかなり偏った見方で見ているうちに、3.10というものがいろんな意味で際だった存在だということに気付くのに、そんなに時間はかからなかった。

私はイエローモンキーのライブ映像をかなり繰り返して見ている方だと思うけども、それでもよく見るものとそうでないものの差というのは歴然としてあって、3.10はそれほど見ていない、に分類されるDVDだった。もちろん、通して見たことはある。だが、その数は決して多くはない。

なぜ、それほど見ることがなかったのか、理由はひとつではない。あの3.10自体がその当時は結構なニュースで、確か当日はスペシャviewsic、もしかしたらWOWOWもだったかもしれないが、とにかく複数の中継が入ってこの3.10を分割で生中継し、しかもそれが渋谷のマルチビジョンに映し出されているなどといった結構な大がかりなことになっていたのだ。だから、DVDで見る前にすでに中継(しかも複数)を見て「3.10に関してはお腹いっぱい」的なところがあったこともそうだし、せっかくのこれだけ長いツアーだったのに、このラストの1日しか映像がないというのも、ファンにとっては満足できるものではなかったというのもそうだ。出来ればTRUE MINDのような、ロードムービー的なものを期待していたファンは実際多かった。

だが、私がこのDVDを繰り返し見ることをしなかった最大の理由は、多分辛かったからだろうと思う。こんなにも疲弊した吉井和哉を見ることが、当時の私にはつらかったし、そしてその後の長い休養、spring tourで感じた不安、そして活動休止発表と続く中で、ますます私はこのDVDを見ることができなくなっていった。それは、馬鹿げた考えだと一笑に付されるようなことだけども、「このツアーがなければ、こんなことにはならなかったのかも」という思いを、どうしても捨て去ることが出来なかったからだ。そしてそれは、そのツアー自体を貪り尽くすように味わっていた自分自身への罪悪感でもあった。もちろん、それが驕りにも似た感情であるということはわかってはいても、何かに原因を見つけたい気持ちを抑えることは出来なかった。

パンチドランカーというツアーは重かった。重すぎた。

アーティストにとっても、そしてファンにとっても。

だが、自分で勝手に始めた企画のせいで(おかげで)、否応なしに3.10の映像を見ているうちに、その当時はまったく気がつかなかったことに気付くようになった。それは何か。圧倒的なのだ、そのパフォーマンスが。音のタイトさ、隙の無さ、完成度、叩きつけられるような興奮、そしてオーディエンスとの一体感。この襲いかかるうねりのようなものはなんなのだろう、それは他のどの映像にも感じられないものだった。

当時は私も、どうしてホールツアーや武道館や他の映像を入れてくれないのかと不満に思っていたけれど、このラストの1日を切り取ったことには意味があったのだと今は思う。113本をやりきったからこそ到達できるもの、それがこの日のライブには確実にある。この日がベストかどうかということとは関係ない、ただ、113本というツアーが遺したものは、各地の映像を切り取ってみせるやり方では見えてこなかったのではないだろうか。

吉井和哉も、もしかしたら他のメンバーも、あなたにとって最高のライブはいつでしたかという問いに対してこの日付をあげることはないかもしれない。けれどこの1999.3.10というこの日が、イエローモンキーというバンドが到達した山の頂上だったのだろう。山の頂上が、一番いいところとは限らない。登っている最中の方が楽しかったのかもしれない。実際、このツアーが楽しいだけではなかったことは、ツアーの最中から感じられていたことだし、後年の吉井和哉の発言からもそれは確かなように思える。

だが、楽しいだけではなかったからこそ、イエローモンキーというバンドは、ここまで到達することができたんじゃないか。苦しくても、苦しくても、立ち上がり、音楽と、ロックと格闘し続けた113本だからこそ、私はこんなにも、あなたたちに夢中になったのだ。

本当に久しぶりに、3.10を最初から最後まで、通して見た。そして思った。好きになって当たり前だった。夢中になって当たり前だった。彼ら自身が楽しんでいたか、苦しんでいたか、それに気を取られてばかりいたけれど、こんなライブを見せられて、夢中にならない方がおかしいのだ。今時間が巻き戻って、この3.10の横浜アリーナに居合わせたとしても、私は同じように拳を上げて歌うだろう。この先に待つことを知っていたとしても。

山の頂上は住むところじゃない。辿り着いたら、記念写真を撮って、ゆっくり降りてくるといい。そしてまた、次の山を目指せばいい。

昔あるひとがそう言ったそうだ。吉井和哉は今、次の山を目指そうとしている。彼が昔、自分がたどり着いた場所のことを、今どう思っているのかはわからない。でも私は、あれから8年を経た今ようやく心の底からこう思うことができた。いい頂上だった。いい眺めだった。あの時は、きっともっと先があるのだと信じていたのだけれど、それは私が自分のいる景色の高さに目が眩んでいただけなのだ。イエローモンキーが到達した場所の凄さが、今はよくわかる。ありがとう、こんな景色を見せてくれて。そうお礼を言うことを、ずっと忘れていた。

たぶん今日もまた、何かの初日であるでしょう。

その言葉の重さに、意味に思いを馳せる、8年目の3月10日です。