自ら伝えるもの

途中的なところがあるじゃん、自分の曲って。自分で作ってる自分の曲っていうのはさ、それが最後の曲だと思ってないじゃん、当然。今悩んで作ってるけど、その次にもなんか作らんといかんっていうのが常にあるんですね。ここで立ち止まっていては音楽家としていかんし、とか思うじゃない。何年もやるんだから、今やってるものはその途中の通過したものであって、そのなんか・・・まあ日記みたいなもんじゃねえか、みたいなことだ。(中略)自分のものっていうのはさ、背伸びをしちゃいけないわけですよ、自分としてはさ。背伸びして作ると、あとで振り返ったときわからなくなるわけよ。あの時どうだったかっていうのが。だからその場その場の、そのまんまを出さなきゃいけないっていう意識があるんですよ。

先日発売になったスピッツの20周年記念本「旅の途中」を読んだ。といってもこれはスピッツのメンバー自身が実際に書いた本ではなく、インタビューが掲載された本でもない。書籍として発行することを前提に彼らに対しインタビューを行い、それをそれぞれからの一人称の「語り」に構成し直して出版されたものだ。実のところ、この一人称の語りという手段からし幻冬舎だなあと思う本の作りではあるし、その文体に多少の気恥ずかしさを感じる部分もあるのだけれど、しかしそこで語られているかれらの歴史や、音へのこだわり、そのための戦いのあれこれは、彼らに愛情や愛着を抱いているひとにとっては、今まで伺い知ることの出来なかった彼らに触れることができる、貴重な一冊とは言えると思う。

けれども、私はかれらの熱心なファンとは烏滸がましくてとても言えない人間ではあるが、しかしそれでも、この400字詰め原稿用紙486枚に亘って書かれた、言葉で伝わる彼らの「物語」と、たとえば最新アルバムにおさめられた「砂漠の花」というその4分足らずの曲が伝えるものと、彼らの「今」をわたしたちに切実に伝えてくれるのは、後者のような気がするのだ。

ところで、先に挙げた発言は、奥田民生によるものである。

勿論、アーティストと呼ばれるひとの中には、自分の曲が必ずしも自分の今を伝えるものではない、というひともいるだろう。でも民生も、スピッツも、そして吉井和哉も、自分の曲が自分の今を伝えてきたアーティストだと思うし、だからこその苦しみを乗り越えてきた人たちだろうと思う。

吉井和哉が今までバンド、ソロ問わずに世に放ってきた多くの作品は、奥田民生の言葉を借りれば「その途中の通過したもの、日記のようなもの」であるわけで、それはそう、つまり言葉を変えれば、その時その時の、彼の自伝のようなものだとも言えるわけです。

私たちは今まで、その自伝をいろんな形で受け取り、いろんな形で受け止め、または受け止めきれずに、その自伝を心の花にしたり、ラックの宝物にしたりしてきた。その言葉に依らない彼の自伝は、多くのひとのなかで、そのひとだけの彼の物語を作ってきたことだろう。WELCOME TO MY DOGHOUSEを唄う彼の目に、真珠色の革命時代のリフレインに、シルクスカーフと帽子のマダムでの叫びに、人生の終わりで刻まれるリズムに、峠で私たちの前に確かに見えた風景に、CALL MEと呼ぶ声に、それぞれの物語を重ねてきたんだろう。たとえそこに真実はなくても、それは皆に等しくゆるされた自由だったのだ。

今年の冬、吉井和哉は自伝を出すという。それをおそれてしまうファンの気持ちは、人それぞれ100人いれば100通りの感情があるだろうが、中には、自分が今まで受け取ってきた、「言葉ではないもの」を他ならぬ当事者中の当事者から「言葉」で括られてしまうことへのおそれもあるのではないかと思う。言葉というものは「何か」を、「それ」に変えてしまう力を持つものだ。言葉は強い、ときに残酷なほどに。

けれど、当たり前のことだけど吉井和哉には吉井和哉にしか見えない風景があって、彼は今、それをあえて語ろうとしている。音楽でしかできないことがあるように、言葉でしかできないことも、もちろんある。おやんなさいよ、と私は思う。酔って泣きたい夜もある、書いて気の済むこともある。あなたはあなたの風景を、あなたにしか出せない言葉で語るといい。おやんなさいよ、だって私たちはいつでもあなたから逃れることが出来るけれど、あなたはもうどうやっても吉井和哉から逃れることは出来ないのだから。

でも大丈夫、吉井和哉には吉井和哉にしか見えない風景があるように、吉井和哉が決して見られない風景もまた、同じ場所に存在する。それは私たちが見る風景だ。ステージの下で、自分の部屋で、あなたの音楽に触れるときの私たちに見える風景、あなたはそこに手を伸ばすことは出来ない。この風景を一生、見ることはできない。だから、音楽ではないあなたの物語が、どんな言葉を投げかけようとも、ここからの眺めは変わらないのです。

あなたは知らないだろうけどね、ここからの眺めも、けっこう、いいものなんだよ。

私はね、実のところ、この場所をそうとう、気に入っています。