dialog

時間を持て余して都内の大型CDショップに入る。なにを買うわけでもない。念のために、と思いながら「よ」のコーナーを見に行き、LIVECDがまだ入荷前であることを確認する。そのまま棚を大きくぐるっと回って、「い」のコーナーの前で立ち止まる。本屋でもときどき同じことをするが、私はCDショップにいくと大抵の場合「い」の棚に近づいてそこにまだ作品が並んでいることを確かめる。なんの意味もない行為だが、それはもう一種の習慣だ。

店内では先日発売になったばかりの、ガールズポップユニットのアルバムが大きな音で流れている。幾つもの特設コーナーの中には夏フェスに焦点をあてたものがあって、出演が予定されているアーティストのCDが所狭しと並べられている。電子音に乗った女の子たちの声がその広いフロアに充満している。夏フェス特集の棚を見ながら私は頭の中で話しかける。ところでさ、どうなの、今年の夏は。ほんとにひとつも出ない気なの?

知らないよ、と彼は笑って答える。俺が出ても出なくても、行きたかったら行けばいいじゃない。それはそうだけど、でもあとになって出るっていわれるのも困るじゃないの。出ないつもりで準備して、実は私が見に行く前日でしたとか翌日でしたとか、実はこっちでしたとか言われたらどうするのよ。なんだかんだいったって、あなたの持ち点が100なんだからさ。

ふーん、そうなの。そうよ、私は慌てて付け加える。まだね、一応ね。最近はなんだか、そんな感じしないけどね?と彼は畳み掛ける。それはそっちにも責任があるんじゃないの、と私はムキになって言い返す。言わせてもらうけど、この間みたいに、自分にとって100%イエスしか返ってこない空間で、自分の声がどうとかって、ああいうのちょっとぞっとするよ。

随分手厳しいね。誰にだって、そういう時ってあるんじゃないの?そういうとこ含めて俺のこと好きだって思ってたんじゃないの?店内は相変わらずありとあらゆる音に満ちていて、逆に無音のようになにもかもが聞こえない。それがわからなくなってきたのよ。私にとってバンドは確かに恋人のようなものだったかもしれないけど、それとあなたとはやっぱり違うのよ。恋人の甘えは許せても、友人の甘えは許せないのと同じで。

友人なのかな?私はあてもなく店内をうろついて「え」の棚の前で思わず足を止める。1年前にこの店に来たときにはおざなりにしか置いていなかったそのバンドの過去の作品がきれいに並べられ、1枚1枚に丁寧な解説まで付けられていることに驚きを隠せない。売れているんだな、とそう思う。このバンドは私にとって新しい恋人だろうか?その答えはノーだ。それはわかっている。

わからないわ。私は、実際のところ今まで、うまくシフトできたんじゃないかって思ってたわ。過剰に誰かを責めたり、過剰に今を否定したり、そういうことをしないで済んでよかったと思ってた。恋人の一部だったあなたも、友人のあなたも、フラットに好きになれているんじゃないかって思ってたわ。でもわからなくなってきたのよ。

フン、と鼻をならすような音をさせてあなたは話し出す。っていうか、いつも、そんなどうでもいいことばかり考えてるの?それに、言わせてもらえばさ、きみは実際のところ、いつだって物語に夢中になってるだけなんじゃないのか?俺自身というよりも、俺という物語に、そして、登場人物が1人の物語よりも、複数の物語が錯綜するバンドというもののほうが、きみをより満足させるってだけなんだろ?だってきみは本当のところ、音楽ってものに大して興味があるわけでもないじゃないか。

そうね、それは否定しない。否定しないし、失礼な話よね、まったくのところ。ガールズポップユニットの声が繰り返す。会いに行きたいよ 遠い空間を Baby cruising Love たどり着きたいあの場所。でもね、ライブを見ているときは、そんなことまるで考えないのよ。あなたは圧倒的で、その指先の動きひとつで何万という人間の目を惹きつける。それはほんとうに、何度見ても同じ言葉しか出てこないわ。あなたはすごいって、それだけ。それはそうだよ、と口の端をすこしあげてあなたは言う。だって、おれはロックスターだからさ。

この間、釣りをしている写真が出たじゃない?うんそうだね。あれ、昔あなたがこっそり名前を変えて、ネットに写真が出たときのこと思い出したわ。休止した次の年だったかな?あれを見たときは、ほんとに思わず深いため息が出たものよ。どうすんのかな、これからこの人って。ほんとうになにもかもをやめてしまうんじゃないかって思った。でもそうならなかったわね。あなたは帰ってきた。ステージの上に。

でも本当はあの時、もうやめようと思っていたんでしょ?彼はなにも答えない。あなたはいろんなものをなくして、これからも失くし続けるんだわ。たくさんのものを得て、失って、お金もそこそこ稼いで、いろんな感情に取り囲まれて、楽しくて、苦しくて、それでもまだ音楽と格闘していくのね?アルバムが一巡したのか、店内の音楽はどこかの誰かの、激しいギターのリフに変わっている。だだっぴろい店内に、溢れんばかりの人、そして、ぎっしりと並ぶどこかの誰かの音楽。10年後もこの風景は変わらないかもしれない、でも、その棚の中身はごっそり変わっているだろう。絶えず生まれてくる新しい音楽。そこに飛び込んでいくのは、その河を泳ぎ切るのは並大抵のことじゃない。

それでも、あなたはやっていくのね?

そうだよ。暖かくて、でもどこかきびしい口調で、彼は私の待っている答えを言う。

だって、おれはロックスターだからさ。